“お試し移住”からはじまった、逗子での海街の暮らし
短期間のお試しのつもりで住みはじめた街が、思いのほか、肌に合うことがあるーー。
逗子銀座商店街の脇道で、小さな雑貨店「zuhka(ズーカ)」を営む山本千晶さんが、逗子の街に移り住んだのは2017年。当時は都内でメディア関係の仕事をしていたが、住んでいたマンションの建て替えで、しばらく部屋を出なければならず、「せっかくなら、海の近くに住んでみたい」とほんの軽い気持ちで、逗子に引っ越した。
季節は秋。にぎやかな海水浴シーズンが落ち着き、逗子の街は人気が少なく、それまでの都会の多忙な生活にはなかったような、ゆったりした空気感に安らぎを感じた。
「時間の流れが、東京とは全然違います」と山本さんは話す。
都内では、電車の席取りにはじまり、いつも“戦闘モード”だったが、逗子に来てからは、街の人たちの譲り合いや、持ちつ持たれつの関係のなかで、自分自身もリラックスして穏やかになれたという。
当初、逗子に長く住むつもりがなかったという山本さん。しばらくは賃貸に暮らしながら、横浜や都内の会社へ通勤する生活をしていたが、逗子の暮らしを気に入ると、中古マンションを購入してリノベーション。さらには、2020年に湘南の作家ものの器やアクセサリーなどを扱うお店「zuhka」をオープン。数年前からは犬も仲間入りして、夫婦と一匹で海街の暮らしを楽しんでいる。
逗子で出会った、“ちょうどいい距離感”
逗子の街に住んでみて、山本さんにとって大きな気づきをくれたのが、地域のビーチヨガコミュニティでの出会いだという。平日の朝、逗子の海に集まってくる人たちの中には、平日出勤の会社員はいない。主婦やフリーランス、多様な働き方の会社員、小さなお子さんのいるお母さんなど、さまざまだ。
「ビーチヨガでは、いろんなタイプの人たちが集まってきますが、何の仕事をしているとか、子どもがいるかいないか、結婚してるかしてないか、まったく関係ないんです。“ひとりの人”として、それぞれが対等につきあっているのがとても新鮮でした」
出身は関西。メディア関係の仕事に憧れて、就職のために上京してきた山本さん。それまでは「何かを成し遂げなければならない」という思いに駆られ、世間のものさしばかりを気にしていた。ヨガのコミュニティをはじめ、逗子の人たちに巡り合ったことで、少しずつ殻がやぶけていったという。
「逗子に暮らすようになって、『人にどう見られるかということは、気にしなくてもいい。自分がいいと思うことや、やりたいと思うことを、自分のできる範囲でやっていけばいい』と思えるようになりました」
「都内で働いていた頃は、メールを一日返さないのはあり得ないという感覚があったのですが、この地域では、多少ゆっくりでも『何かあったんだろうな』と汲んでくれる大らかさがある。そういう個々のペースを尊重してくれる街の空気が感じられます」
こうした考え方の変化が、お店を始めることにもつながっていった。
逗子の空気を映した、暮らしのギフト
もともと雑貨や手仕事のものが好きで、買い物が好きな山本さんは、地域のマルシェに足を運んでは、逗子や葉山、鎌倉を拠点に活動する作家たちの作品に惹かれていった。
お店を開くきっかけになったのは、鎌倉のとある雑貨店での買い物体験だったそう。
店員さんとの距離感がほどよく、楽しい会話もできて、心に残る買い物体験をしたことで、自らも、心地いい買い物体験ができる場所をつくりたい、と思うように。その後、ライター活動を続けながら、雑貨店でも働くようになると、ほどなくして空き物件が見つかり、とんとん拍子で開業へと道が開けた。
一人ひとり、作家を訪ねて直談判。お店で扱うのは、主に、逗子・葉山・鎌倉を拠点に活動する作家たちの作品であることから、それぞれの町の頭文字をとって「zuhka」と名付けた。コンセプトは、大切な人や自分自身に贈る“暮らしのギフト”。日々の暮らしを豊かにしてくれる、湘南メイドの品々が並ぶ。
「湘南の穏やかな空気感はありつつも、ちょっとエッジが効いているもの。ゆるすぎず、洗練しすぎず、それぞれの個性がいきているもの。あとは、自分自身が持っていることで、気分が高まるものをセレクトしています」
今年で6年目。ふだんは個展やイベント販売を中心に活動する作家の作品を常設したり、POP-UPやワークショップを企画して、作家とお客さんが交流する機会をつくるなど、独自の運営スタイルも見どころだ。
「“ほっこり”だけじゃないのが、逗子。都会と近いからかもしれませんが、洗練された雰囲気を持っている方、背筋が伸びている人が多いんです。『シネマアミーゴ』のような映画館があったり、文化的な雰囲気もある。逗子らしさが感じられるセレクトにしたいなと思っています」
“気軽なスローライフ”が叶う街、逗子
今ではすっかり逗子ライフを満喫している山本さんだが、かつては、仕事場と家庭が近くなることをよく思っていなかった時期もあったとか。
「自分の世界が半径2キロメートルで収まってしまうのは、人としてインプットが足りないのではと思っていました。でも今、まずは心地いいのと、逗子は都内に出るのも電車1本で座れるので便利。自分のペースでいたいときはずっと逗子にいればいいので、何の不便も感じていません」
京急もJRも始発駅の逗子は、1時間の通勤でもほぼ座れるため、都内に通勤している会社員も多い。山本さん自身がそうだったように、気軽な“お試し移住”で来れる距離感というのも、逗子の魅力のひとつだ。
「都心へのアクセスもいいので、ミーハーな気持ちを完全に捨てなくてもいい。逗子は、“気軽なスローライフ”を体験できる場所だと思います」
編集後記:お店の看板犬・カステラちゃん
こだわりや想いのつまった手仕事のものに囲まれた店内で、レジ台の下にちょこんと座っているのは、山本さんの愛犬のカステラちゃん。つぶらな瞳がたまりません。会えた日はラッキー。取材中もおとなしく、いい子にしていました。


