自然と文化が調和する街、鎌倉。
鎌倉駅の東口から、材木座海岸方面に歩いて5分ほど。ローカルな店がぽつぽつと並ぶ大町大路沿いに、夕方になると角打ちでにぎわう一軒がある。加藤曜子さんが店主をつとめる「日本ワイン店 じゃん」だ。
かつて東京に通勤する会社員だった加藤さんが、ご主人と鎌倉に移り住んだのは2012年。
横須賀にある夫の実家まで車で30分ほどで行ける距離と、波乗りができる街という条件で選んだのが鎌倉・長谷だった。
「サーフィンだけでなく、鎌倉の文化的な雰囲気もいいなと思ったんです」と話す加藤さん。
当時の職場は六本木。通勤時間は1時間ちょっとだったが、本を読んだり映画を見たり。オンオフの切り替えにちょうどいい距離感だったという。
「軽いハイキングができる場所もたくさんあるので、海に入らなかったら山に登るといった感じで、週末を楽しんでいました。あとは、鎌倉は飲食店のレベルがすごく高いので、都内で食べて帰らなくても、家から歩いて行ける距離においしいお店がたくさんある。いろんなお店を巡って外食を楽しんでいましたね」
その後、子どもが生まれると、観光客でにぎわう長谷から、より落ち着いた住宅街の材木座へ。子育ての環境に材木座を選ぶ決め手となったのは、サーフショップを営む知人からのアドバイスだったそう。
「『材木座の魅力は、134号線を渡らずに海へ出られること。大きな幹線道路を渡らずに、子どもも安全に自転車や歩きで海まで行けるのはすごい利点だ』と言われて、その通りだと思いました。実際に暮らしはじめてみると、商店の方々が挨拶をしてくれたり、子どもの顔を覚えてくれたり。見守ってくれている雰囲気があります」
日本ワインとの出会い
もともと早期退職して、夫婦で小さな居酒屋さんをやるのが夢だったという加藤さん。会社の勤続10年の節目や、子どもの“小1の壁”、コロナ禍でこれからの働き方を考えるなかで、旅先で出会った日本ワインの虜になり、大きなキャリアチェンジを決心した。
今でも曜子さんの活動の原点にあるのは、和歌山でみかん農家を営む祖母の姿だ。
「子どもの頃から見てきた、日本の美しい里山の風景や、自然と共生する人たちの営みを未来にも残したいという思いがあって。そのために自分にできることを考えていたとき、日本ワインに出会ったんです」
ワイナリー巡りをするうちに、日本ワインの奥深さに惹かれていった加藤さん。ワインづくりに携わる人たちの壮大なビジョンや想いに感銘を受ける一方で、日本で消費されているワインのうち、国産はわずか5%だと知る。
「日本ワインを飲む文化がもっと根づいたら。そのことで里山が元気になったり、日本人であることを誇りに思える瞬間をふやせたらーー。」
そんな想いから、日本ワイン専門店を自ら開くことを決意した。
「何かをやらなきゃいけない、こういうふうにやっていこうという明確なビジョンがあったわけではなくて。ただ『やりたい!』という想いばかりで始めてしまって、たまたま出会った人や読んだ本に影響を受けながら、ここまで辿り着きました」
自宅の一角で日本ワインの販売を始めると、顔なじみの飲食店のオーナーから、1年間お店を閉めるのでその間にお店を借りないかというお誘いが。もともと“居酒屋のおやじ”になりたかった料理好きのご主人もその頃に会社を辞め、日本ワインの販売と角打ちを組み合わせたスタイルへ。期間限定で始めた日本ワイン酒場は繁盛し、常連客も増えていったものの、先の見通しが立たずにいた頃、偶然お店を訪れたお客さんが、現在の大町店の大家さんだったという。さらに2号店となる藤沢店も、スタッフの友人のつながりで見つかった物件だった。
「そういう巡り合わせがあるときは、ロジックではないので、ご縁をありがたく大切にしています。この街には、人を紹介してくれたり、縁をつないでくれる雰囲気がすごくありますね。」
「じゃん」でつながる、街と人の温もり
大町店は、日本ワインの販売だけでなく、料理を楽しめる角打ちができる店としても親しまれている。ワイナリーの方を招いた試飲会や、湘南エリアの料理家たちとのコラボイベントなど、ワインと食を通じたイベントも盛りだくさん。
「一番うれしいのは、すごく小さなことですが、お店で飲んだワインがすごく美味しかったといって、お客さんが旅行でワイナリーまで行ってくれたりすること。人の心が動かされたときの波動が、ちゃんと相手に届いているんだなと実感できます。」
店内では1枚の長テーブルを囲んで、日替わりのグラスワインや、ワインに合うおつまみや家庭料理をいただける。家庭の食卓のようにみんなで顔を合わせて座るから、自然と会話がうまれ、常連さんも初めてのお客さんも和気あいあいと過ごしている。
お母さんたちが子どもの習い事の待ち時間に、ワイン1〜2杯とおつまみでおしゃべりしに来たり。移住してきたばかりの人が、ひとりでふらっと立ち寄ったり。
常連さん同士でLINEグループをつくって、休日に釣りに出かけることもある。
それぞれが、思い思いの時間を「じゃん」で過ごし、そこからまた新しいつながりが生まれている。
「家庭や仕事以外での、人とのつながりがあるって、すごく良いことなんだなと、お店を始めてみて実感しています。お客さんがお店に来て、『今日もいっぱいおしゃべりできてよかったな』『明日からまた仕事をがんばろう』と思えるような。人と人がつながることで、心がちょっと動いて良い方向にいくーーそんな体験を提供していけたらうれしいです。」
鎌倉に暮らす30代の夫婦が脱サラして小さくはじめたお店は、わずか数年で街にしっかり根づき、地域の人々から愛されている。
最後に、加藤さんに日常の中でふと感じる、街の良さをたずねてみた。
「鎌倉はコンビニも少ないし、都心のような便利さはあまりありません。
だけど空は広いし、ちょっと海まで行けば、夕焼けがすごくきれいだったりする。
そういう自然の中に身を置いて、気持ちいいと思える人。おだやかな自然を見て不便さが帳消しになるなと思える人は、この街がぴったりなんじゃないかなと思います」
編集後記:おすすめの一品「横須賀松坂屋のハムカツ」
サクサクッとかむと、じゅわっと口の中においしさが広がる、食欲をそそる一皿。
地元のお肉屋さんの無添加手づくりハムから生まれるハムカツ。
「良い意味でイメージを覆してくれる、リピートの多い一皿です」と加藤さん。
